日常
昼過ぎに起床、シャワーを浴び、畳でためていた本を読み昼寝。
起きた後は音楽を聴いたり、ギターを弾く。
気づいた頃にはすでに外は暗い。
ご飯を食べ、風呂に入った後、ウーロンハイを飲みながらラジオを聞く。
ラジオの区切りにタバコを吸い、SNSを見なががらベットに入る。
そこからは明け方までアニメを鑑賞して、寝むりにつく。
そして昼過ぎに起き、また同じような日々が始まる。
今は自分の趣味や好きなことをできる時間が腐るほどある。
憧れていた暮らしが今はある。
なのになぜか虚しくなっていた。
憧れていた日々の暮らしがなにも楽しくなかった。
なぜかは気づいていた。
俺は日々を”生きている”のではなくて”耐えている”んだな、と。
その理由をこう考えるようになった。
「外の現実が俺をそうさせている」
テレビをつければ不安を煽るニュースばかり。
SNSをひらけばしょうもない喧嘩
頭の中で気にしないようにしてはいるものの日常の中でちらつく現実
俺は現実から目を背けるための日々を過ごしている。
気にしないために趣味や好きなことを惰性でやっている。
自分の日々がしょうもないのは外の現実のせい、そう思っていた。
いや、そう信じていた。
だけどそれは違うと分かった。
自分自身が一日一日を大切にしていなかったからだった。
どうせ明日も変わらない日常で時間を浪費するだけ。
なにも進歩のない日々を過ごし、時間が過ぎるのをじっと耐えるだけ。
そう思っていた。
外の世界は絶えず変わり続け、自分自身も変わっていくのに。
外の世界の変化に目を向けず、昨日より明日の方が良くなっていく自分を信じず、
日常の変化に目を当てなかった結果が今の虚しさであると気づいた。
そして、なんとなく過ごしてきた日常にちゃんと目を向けるようになった。
今日は昨日より暖かい。庭には新しい花が咲いている。
いつのまにか弟の身長は自分より高い。ギターのストロークが前より上手くなっている。
二重跳びが以前より長く飛べるようになった。
変わらないと思っていた日常は絶えず変化していると気づく。
その日々が愛おしい。
そして俺は今を”耐える”のではなく”生きる”ようになった。
そこからの俺の生活は美しい。
今日より明日がいいと思える。
4缶目のウーロンハイがこちらをじっと見つめている。
部屋にはバイクの排気音だけが鳴り響いている。
暗転。